サールナートのアショカピラーとは


これが実物の写真です。
 このたび青蓮寺では、時代の要請にもとづき永代供養墓の建立をいたしました。この永代供養墓を建設するにあたりまして、お釈迦様の、仏教の聖地としてのインドに徹底的にこだわった結果、ご覧のような全国初の永代供養墓を作り上げることができました。
 伝えによりますと、お釈迦様の入滅後百年から二百年後(紀元前三世紀)に世に出たマウリヤ朝三代の王『アショカ王』は大変残虐な王であったそうです。インドを統一する中で戦を繰り返しましたが、最も凄惨を極めたカリンガ戦争の戦場に残された十数万もの屍を前にしたアショカ王は、戦争のむなしさを感じ、お釈迦様の教えに帰依したと言います。
 以降、アショカ王はお釈迦様の教えに基づき治世を行うとともに、その教えを広めるために大変な尽力をされます。仏教が世界宗教となる基礎を築かれたのがアショカ王と言えます。また慈悲深い王として人々の信頼を得るに至り、インドを統一した大王となられました。アショカ王は、仏教以外の様々な宗教を保護したことでも知られています。
 そのアショカ王が治世のためにしたことで仏教にとっての大きな業績が二つ残されています。
 一つは、お釈迦様の遺骨が祀られた八つのスツーパ(仏舎利塔)の七つをもって再度分骨をし、八万四千のスツーパを造営したことことです。(八万四千という数字は実際には定かではありません、実に多くの、という意味を表しています)こうしてインド国中にお釈迦様の教えが広められました。
 もう一つがアショカピラーと称されるものです。十メートルを超えるような高い石の柱を立て、その上に獅子や象等のモニュメントを祀ったもので、十二本の存在が確認されています。現在バイシャリーという聖地に唯一完全な姿で残されていますが、多くはイスラム教徒により破壊されたとも、落雷により破壊されたとも言われています。(今後発掘調査が進むことにより、さらに多くのアショカピラーが発見されるであろうとも言われています。)
 お釈迦様がお生まれになられたネパール国のルンビニも八大聖地の一つですが、この地に建立されたアショカピラーに刻まれた文章によりお釈迦様の実在が証明されたといわれています。『ここが仏陀の誕生された地であり、供養のためこの地の租税を八割免除する』という内容が記されています。
 このアショカピラーの中で最も有名なモニュメントが、お釈迦様が始めてお説法をされた(初転法輪(しょてんぼうりん)と言います)聖地として知られるベナレス郊外にあるサールナート(お経の中では鹿野苑(ろくやおん)と出てきます)で発掘されたもので、インドの国章になっているものです。四頭の獅子が四方を向いている姿で彫られているものです。四方を向いていると言うことは『この教えが世界中に広まり人々が穏やかで幸せに暮らせますように』と言う願いが込められているのです。獅子はアショカ王の紋章でもあります。
 このアショカピラーを、壺坂霊験記で知られる奈良の壺阪寺が支援する財団法人『アジア・アフリカ国際奉仕財団』の国際協力NGO石彫産業支援事業部門のご理解とご協力によりインドの地で制作することができました。実際のアショカピラーと同じ大きさで、傷ついている箇所は丁寧に復元してありますから、制作された時点の姿が再現されています。
 今、心のありようが強く求められていますが、このアショカピラーを皆様にご覧いただき、お釈迦様の教えに思いをかけられることを切に願います。またアショカ王により制作された目的に叶い、お釈迦様の教えが人が人として生きるために必要なものであると感じていただければ幸いでございます。
 今回青蓮寺で招来しましたアショカピラーは、北関東地区では初めてだと思われます。全国には数カ所祀られていますが、柱の上に祀られていているのはこちらだけかもしれません。また、お墓と位置づけて祀られているものは他にはないと考えられます。なによりも素晴らしいことは、青蓮寺の境内の一番良いところに祀ってあり、どなたにでも気軽にお参りしていただけるようになっていることです。
 なお、二月にインドの八大聖地を含むお釈迦様ゆかりの地を巡拝してまいりました。その記念に、巡拝した各聖地の土やレンガのかけらを二十三カ所からいただいてきましたので、インドの聖地のお砂踏みができる準備を進めています。インドの聖地巡拝はなかなか難しいので、お砂踏みが出来上がりましたら皆様にはインドの聖地も併せてしのんで頂ければ幸甚であります。
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